<秋の旅行1日目 編>


今年、宿泊旅行には出てなかった。

これは精神衛生上。
まったく好ましくない。

だから、2泊3日の旅に出ることにした。


約60名で満タンになる飛行機に乗り込み。



北に北に針路を向け。

そこからはレンタカーで走り、ここに到着した。



土門拳写真館。

そこから北に北に車を走らせ。



象潟(きさかた)の道の駅で。

焼きおにぎりを頬張る。



うまし!!

稲刈りがやっと始まったばかりの田園を走りつつ。



友人家族と一年ぶりの再会。



はるな嬢は相変わらず人見知りっ子だった。



一時ほどお邪魔後、今度は車を南下させ宿泊地へ。

この日は中秋の名月。



さて、明日は山登り。

お天気様、頼みましたよ!


<秋の旅行2日目 編>


前日の晩は。
旅館のキノコ尽くしに舌鼓を打ち。

疲れのためにコテン。

翌朝、日の出前に目覚め。
窓を開けたら、居ても立ってもいられず。

カメラを持ち出して。
登山口まで車を走らせた。


黎明(れいめい)



ウキウキしてプチ興奮してしまった。


登山に関して旅館のご主人に相談すると。
当初計画していた往復コースは大変だとのこと。

「今日は今年の秋一番の好天です」
「そうなんですか」
「迎えに行きますので、月山を満喫してきて下さい」

何と云っても、こちらはド素人。
素直にアドバイスに従うことにした。

今回のコースは以下と相成った。

※ 姥ヶ岳→金老を経由→牛首→月山→大峰→仏生池小屋→一の岳→弥陀ヶ原

さて、出発である。


まずはリフトでスタート。



はやる心を抑えつつ、記念撮影。



リフトを降り、姥ヶ岳頂上を目指す。



しばし休憩後、1979.5mの月山山頂に向かう。



こういう景色の尾根伝いを歩くのは初めてとあって。

年甲斐にもなく興奮と感動が同時進行していた。



それでもキツイんだよ。

☆ ☆ ☆

山頂より西南西を望む。左の尾根が姥ヶ岳。右の尾根が湯殿山。



予想外にも強風に煽られ、立つのが怖い。

☆ ☆ ☆

山に登る前にショップのオーナーから。

レクチャーを受けていたのが役立った。

準備してきた衣類を次々に重ね着してから。

頂上で強風に曝(さら)されながらも。

地図を広げて図面と実際の山を確認する。

☆ ☆ ☆

月山神社に参拝。



風裏にまわり、広大な景色を眺めつつ。

おむすびをいただく。



大口開けて、実に美味そうに頬張った。

☆ ☆ ☆

頂上付近の紅葉は終わり、徐々に下降してきていた。



景色を充分に堪能しつつ弥陀ヶ原を目指す。

高層湿原と点在する池塔群のある弥陀ヶ原到着。



百名山、最初の一歩は月山であり。

とても素晴らしいトレッキングとなった。

☆ ☆ ☆

さて、明日は最終日である。


<秋の旅行3日目 編>


今、山形と云えば・・・。

直江兼嗣が熱いのではなかろうか?

飛行機の出発時間は午後15時だったので。
車を飛ばして米沢観光を計画していた。

・・・が、その前に。

前日のトレッキングが気持ち良かったので。
山々の神様にお礼とばかり。

参拝してからにしようと寄り道をすることにした。


湯殿山のご神体は撮影禁止。



裸足で詣るという初めての体験をした。

☆ ☆ ☆

そして、出羽神社。



今年は出羽三山丑歳御縁年なのだそうだ。



本殿で二礼二拍手一礼。



彫刻が見事であった。



境内の中には、色々な神様の祠が建立されている。



時計を見ると・・・。

あら、米沢には間に合わないぞ。

☆ ☆ ☆

地図を引っ張り出し、ルート変更をしてドライブ。



我が住む町に田園風景は皆無。



だから改めて米の大切さを知る。

☆ ☆ ☆

そして、食事の〆はやっぱりこれ。



旅館での手打ちそばには及ばないも、とても美味しかった。

☆ ☆ ☆

ピンスポット狙い撃ちの旅行は。

大満足、大満足、大満足であった。

☆ ☆ ☆

またぞろ、出歩きたくなった。


<熱田神宮参拝 編>


熱田神宮の創始は。
三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まると云われる。

神宮本殿は。
平成25年におとずれる創祀千九百年の慶節を寿ぎ大規模な造営事業を行っている。

今年10月10日には竣工予定であり。
本殿遷座祭(10日)並びに臨時奉幣祭(11日)が執り行われる。





昔、熱田神宮の前は車で通ったのだが。
参拝するのは初めてである。

名古屋駅からタクシーに乗車したのだが。
この地もやっぱり不景気の影響をまともに受け。
運転手は気を遣いつつお話しになる。

「近い方の門なら料金が安いから、そちらにしておきます」
「どちらでも構いませんよ」
「いや、そちらにしておきます」
「じゃ、よろしくお願いします」

あれやこれやと話しているうちに到着した。





今年は伊勢神宮を参拝していたからか。
境内はかなり広大だと勝手に解釈していた。
が、それほどではなかった。

清めの水で手と口をすすぎ。
鳥居の前で帽子を脱ぎ、頭を下げてから中に入る。





源頼朝やら。
織田信長やら。
歴史に名だたる各武将達は。

合戦前やら。
京都へ入京する前には必ず祈願に参ったと云う。

それだけの年月が流れていることに思いを馳せつつ。
本殿に向かう。




二礼二拍手一礼。

◇ ◇ ◇


8月23日。
この日、御神前で刀剣研磨技術の奉納が行われた。

友人の吽形氏も参列していると聞いていたので。
突然のサプライズとばかりに顔を出した。












吽形氏、発見。




黙々と小刀に彫っている吽形氏を近くで撮りつつ。
一般人として声を掛けてみた。

「それは何と彫ってるんですか?」
「これはですねぇ、・・・?・・・??」

吽形氏、キョトンとした顔でこちらを見ながら。

「来たん?」
「そ、来た」

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この日より数日前のこと。
氏に電話で奉納の神事があることを聞いていた。

しかも。

「11年前、この奉納を見学したときに本殿で祈願したんじゃ」
「何て?」
「ここで、私も奉納出来るよう精進潔斎(しょうじんけっさい)
 技術向上に勤しみます」

嬉しいことなので。
これも顔を出す契機となった。

ただ。
氏には行くことを話さなかっただけである。


仕事仲間とご一緒にチーズ。



おめでとう!吽形さん!!


「ほんじゃ、帰るわ」
「そうなん?」
「今からはビールと名古屋名物が待ってるでぇ〜よぉ〜」

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「次回はゆっくり会いましょう!」

そう話して境内を後にした。

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彼のお父ちゃんとは。



先週の同窓会で一緒だった。


お昼を食べようと約束していた梶君から。
メールが届いていた。

“時間の有効活用を考えると、地下鉄東山線に乗って、
 藤が丘駅まで来て下さいな。
 熱田神宮→名古屋→藤が丘です”

帰りの電車の予約をしていたので、
時間の制約上そうなったのである。

ただ、そうしないと。
彼といつまでも飲んでいて、
帰りがとっても遅くなる懸念があった。

それは非常に危険である。


さて、到着した。



街並みは閑静な住宅街である。


自宅にお邪魔し、久しぶりにご家族と顔を会わす。
ぬぅ〜っと大きくなった息子に。

「デカなったなぁ〜」
「こんにちわ」
「声まで低くなってるやん」
「ええ、まぁ〜」

「奥方も元気そうで何より」
「もちろん!」

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「名古屋名物もエエネンけど、
 この辺は中華が充実してるねん」
「そうなんや」
「だから昼は中華に行くから、食べてみて!」

と云うことで。
近所の中華料理店へ出向く。

「かんぱ〜い!!」

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「先日、青春18切符で12時間ほど電車に乗ってきてん」
「どこに行ったん?」
「飯田線で塩尻。それから中央西線で名古屋に帰ってきた」
「鉄っちゃんやなぁ〜」
「違ゃうで!電車に揺られながら飲むのが好きやねん」
「へぇ〜」
「ま、強いて云えば飲み鉄かな」

彼は学生時代。
山形県から青春18切符で帰ってきた強者であり。
実に筋金入りの鉄っちゃんなのである。

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楽しい時間は瞬く間に過ぎる。

「ほな、そろそろ行くわ」
「今度はゆっくりして来てよ」
「ありがとう。また連絡しますわ」

駅まで送ってもらい、電車に乗り込んだ。

とても中身の濃い名古屋であった。


行きの車内は歯がカチカチ状態だったのに。



帰りは汗ばむ暑さの車内に変身。


それもそのはず。
きれいなお姉さんが、冷たいビールを車内販売していた。

近鉄さん“あきんど”ですなぁ。。。


<越木岩(こしきいわ)神社参拝 編>


西宮神社の北に位置するため「北の戎」と呼ばれている。






またまた神社詣である。
今年の初っ端から四回連続なので。
「またかい!」
という声が耳に突き刺さりそうである。

   ◇ ◇ ◇

ただ、足を運ぶにはそれだけの理由があって。
ご近所で
【椿】の見所を探していると。
ヤブ椿の群生地であり、
3月下旬には椿祭りも開催されると云うことから。
この神社がヒットしたのである。

   ◇ ◇ ◇

もちろん。
行ったことなんてない。
だもんだから。

「ちょっくら行ってみっか」

   ◇ ◇ ◇

防寒着に身をまとい、バイクにまたがってアクセルを回す。
時間にして15分程度の場所にある。
「人出は少ないだろう」との予想通り。
深閑としている境内を椿を探して歩いてみる。


少し早いのか、まだまだ咲き始めである。



弱ったぞ・・・。




こんな時に。
神社と云う場所はありがたいのである。

   ◇ ◇ ◇

ご神体は周囲約40m・高さ10mの一大大岩。
酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから、
「甑岩」と名づけられた。

巨岩ご神体の形状から女性自身に例えられ、
女性をお守りくださる神として「甑岩」にお参りすると、
【子授かり】
【安産】
のご利益があると言われている。


   ◇ ◇ ◇

大坂城築城のために、この大岩を切り出そうとして。
祟りがあったとも伝えられている。

約400年前のお話し。


確か、生石(おうしこ)神社も一大大岩だった。



石垣用にと刻印されたままのご神体。(池田備中守長幸の家紋)



「受験合格」の文字がたくさん並ぶ絵馬。



それにしても。椿を見つけ出すのに苦労したばかりでなく。



意図した写真は撮せず仕舞いだった。




な〜に、こんなことは。
多々、ありますって。

あとは。
トライし続けるのみ。


<西宮ゑびす神社参拝 編>


あまりに近くて。
『旅行』
と呼べるのかどうか、疑問であるが。。。

ま、ヨロシイではありませぬか。

   ☆ ☆ ☆

蛭児(ひるこ)神は事代主命(ことしろぬしのみこと)とともに、
恵比寿神として多くの人に福の神として慕われた神である。

その蛭児神を祭神とする恵比寿信仰の中心地が西宮神社である。

伊弉諾尊(いざなきのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)とが子づくりをしたが。
妻が先に声をかけて子供を生んだところ、出来損ないの蛭児ができたと云う。

彼は骨のないクラゲのような姿をしており。
三歳になっても足が立たなかったので海に捨てられた。

しかし、西宮の人びとはこの蛭児を。
海のはてから来た見なれぬ姿をした神として祀り。
そのときに。
『夷三郎殿(えびすさぶろうどの)』という名前が与えられた。



ここんところ、神社付いているのだが。



信心深くなった訳ではない。

☆ ☆ ☆


毎年、一月十日前後は大繁盛期間なのでパスし続けてたきたが。
積もり積もると膨大な時間が経過している。

それもそのはず。
境内を歩くのは何十年かぶりである。

月に数度はきっと神社の前をバイクで通り過ぎ。
自宅からだと十分と掛からない距離なのに。

「近くて遠い『ゑびす神社』」なのである。

   ☆ ☆ ☆

ちょいと気になってたので。
本日(二月二十二日)、参拝者の少ない午前中に。

前カゴにカメラを積み込んで、
「よっこらしょ」っと。
バイクにまたがり、神社に訪れた。


一月十日の早朝、『年男』を狙う男達がこの開門を待つ。



そして、神殿に向かって我先に次々と走り抜けていくのだが。



本日は気兼ねなく歩くことができる。



のんびり見て回るのも、おそらく初めてだろう。



梅の木が少ないこの神社でも、やっと咲き始めた。



良いタイミングで訪れたのだと思う。



次回は桜の時期に訪れることにしよう。


<生石神社参拝 編>


生石(おうしこ)神社は加古川バイパス高砂北よりすぐで。
小高い岩山の頂上付近に建っている。

そして、鎮の石室と呼ばれる。
石の宝殿が祀られている。

去年、ご神体であるこの宝殿に。
科学的な解明調査がなされ。
それが石造物の謎を解明するかも!?と話題を呼んだ。

  ◇ ◇ ◇

2月15日の早朝。
加古川の友人の散髪店で頭を丸めてから。
恭しく、神社に参拝することにした。

使用したバリカンは。
そのまま、頂戴した。

  ◇ ◇ ◇

ご友人夫妻、どうもありがとう。
  &
チョコもありがとう。


播磨灘を望むことが出来る竜山に。



生石(おうしこ)神社は建っている。



ご神体の「石の宝殿」は「日本三奇」の一つとして知られる。

◇ ◇ ◇


日本三奇とは。

※生石神社(高砂市)の石の宝殿(ほうでん)。
※霧島山(宮崎県)の天の逆鉾(あまのさかほこ)。
※鹽竃(塩釜)神社(宮城県)の塩釜(しおがま)。

いづれも神聖なものなので。
謎の解明も、おいそれとは行かない。

ただ、世界遺産には。
岩山を刳(く)り抜き、教会やら寺院やらを造っている例は多々あるので。
素人推察でも、その類ではないかと思うのである。

だからと云って。
無機物に変貌する訳では無いのであるし。
ましてや。
ご神体の霊験が損なわれるものでも決して無い。


高さ約五・七メートル、幅約六・四メートル、奥行き約七・二メートル、
重さ推定約五百〜七百トンの巨大な石造物である。



この岩は諸説紛々で「墓」という説もあったくらいだ。



だけど、解明できない方がロマンがある。



親子蛙さんよ、そう思うだろ?



ゲロゲ〜ロ。

◇ ◇ ◇


人は少なかったが。
それでも熱心な参拝者もいらっしゃった。

そんな時はカメラのシャッターは押さずに。
参拝が終わるまで待っていた。

ゆるやかで静かな風が流れていた。


それでも、略記でも読んで勉強することにする。



友人より頂戴した、三代目バリカン。



これで、一年間は丸坊主にしても安心である。


<伊勢神宮参拝 編>


AM08:30、難波発 名古屋行きの特急に乗り込み。



途中で賢島(かしこじま)行きの特急に乗り換え、友人達と合流する。



詣でるのは三十数年ぶりの 伊勢神宮

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「詣でるなら、外宮(げくう)→内宮(ないくう)だよ」

吽形さんが前々日に電話でそうおっしゃるので。
その通り、伊勢市駅で下車し外宮へ向かう。

小学校の修学旅行以来なのだから、記憶は曖昧。
実際、社地を歩いても思い出せない。

「ま、そういうもんでしょ」

なら、気持ちも新鮮に参拝しようではないの。

参拝モードなので、気持ちも背筋も自然とピンッと伸び。
引き締まった感じになってくる。

ちょっと資料を調べてみると。

外宮の祭神は「豊受大神(とようけおおかみ)」
天照大神(あまてらすおおみかみ)が二十一代雄略天皇に下した神託で。
豊受大神の宮が造られた。

外宮は伊勢神宮の御饌(みけ“天照大神の食物”)の神であり。
その調達を請け負ったのが豊受大神である。

『古事記』には豊受大神の名はみられない。
もとは丹波国の一地方神が。
天照大神が伊勢に祀られるようになって間もない時期に。
配下の穀物神として迎えられたという。


   ☆ ☆ ☆

「難しいことは抜き抜き」
「そりゃ、そうだ」
「また気になれば、追々調べたらよろしいわ」


正宮は撮影禁止。屋根の見える社の向こうに祀られている。



外宮域内に三所ある別宮の一つ「風の宮」

豊受大神宮を“正宮”と称するのに対し“別宮”と称する。



社殿の様式は内宮と同じ神明造。



やっぱり、小難しくなるなぁ。。。

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天照大神(あまてらすおおみかみ)は日本の総氏神とされる最高神である。
祀られている伊勢神宮、内宮(ないくう)は。
天照大神信仰の総本山である。

十代崇神天皇の時に天照大神の祭がはじまり、
十一代垂仁天皇の時に伊勢神宮が造られたと、
『日本書紀』にはあるが。
実際は、天武天皇の時代(七世紀末)に建設されたとみられる。

御神体(ごしんたい)は三種の神器のなかの八咫鏡(やたのかがみ)である。
それは皇室の祖先にあたる瓊々杵尊(ににぎのみこと)が天照大神より。
形見として授かったものと伝えられている。

おそらくこの伝承は後世のものであろうけど・・・。


   ☆ ☆ ☆

「難しいななぁ。。。」
「まだキチンとは理解できてないんで、私も本の受け売り」

   ☆ ☆ ☆

建国記念日が近いためか。
相当な混み具合である。
通常ならバスで10分程度の道中も、1時間以上かかる有様である。

「もう、解体工事に入ってるんやね」
「何だか重機が似つかわしくない場所やね」
「ホンマ、ホンマ」

「五十鈴川は澄んでいて、美しいなぁ」
「この川の水で禊ぎをしてから詣でるのが本道なんだって」
「そうなんや・・・」


宇治橋は今年の11月に架け替えられる



後厄のお二人、きっちりと参拝されておりました。



玉砂利を鳴らし、広い参道を進んで行き。



39段の石段を上がると御正宮に至る。

二礼二拍手一礼で正式な礼拝を行なう。

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「ちょっと御守りを買ってくるわ」
「良縁に恵まれるようにか?」
「友人の娘の○○ちゃんが受験やがな」
「そうか、合格の御守りか」
「そうそう」
「合格間違いなしやわ!」
「もちろん、もちろん!!」


空は青々していたのだが、風が冷たい日だった。



さて、禊ぎは済んだ。

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「ほんじゃ、松阪に戻ってガッツリ食べましょか?」
「いいですなぁ。。。」
「お腹満腹にして下さい!」

松阪牛は全国にその名を轟かせておりますが。
そんな素敵な松阪牛のモツ類も。

とっても、とっても素敵なのであります。



コレステロール値もなんのその。がっつり食べたのであります。

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「さて、ぼちぼち帰りますか」
「なら特急の座席を予約するわ」
「・・・は?」
「知らないの?」
「何がでしょう?」
「今、携帯で座席予約が出来るんだわ」

「ヘェェェェ〜〜〜〜〜」

   ☆ ☆ ☆

ササッと歩いたお伊勢参りだったが。
来て良かった。

勉強不足はこれからカバーするにしても。
実際に足を運ぶと。
その歴史的な時間の経過や、荘厳な雰囲気に圧倒されていた。

ただ。
写真を撮るには難易度の高い場所であるとも思った。
常緑樹並木は難しいのである。

それでも。
今年はまた行こうと思っている。

   ☆ ☆ ☆

次回は。

@おかげ横町。
@伊勢根付け。
@伊勢うどん。
@的矢牡蠣。
@鮑(あわび)。
@松阪牛。
@赤福餅。
@伊勢エビ。
@魚料理。
  ・
  ・
  ・

そちら方面にも。
手を延ばしてみようと思っている。

楽しみだぞぉ〜!!


特定の御利益は持たない正真正銘の「お守り」



胃を守ってもらわないと・・・。